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くらしかた・すまいかた
太陽エネルギーを最大限に活かす 住まいづくりと暮らし方
神奈川県横浜市。鎌倉に程近い閑静な住宅地の一角に、その家はある。一見、普通の住宅だが、風力発電機のプロペラを2機も備えている家は、そう多くはないだろう。
門扉にかけられた手作りのプレートには「自然エネルギー共生住宅」の文字。いったいどんな家なのか。

神奈川県/日比野 拓哉さん 聞き手/山下広記(株)地球工作所代表
※このインタビューは、KKJ機関誌「SYMBIOTIC HOUSING No.27」に掲載した内容を元に再構成したものです。

太陽光発電がきっかけ
 玄関から靴を脱いで上がると、床の暖かさが足裏からじんわりと伝わってくる。「うちでは、スリッパをはかないんですよ。」OMソーラーの家づくりのなかで、日比野さんが学んだことのひとつだという。
 廊下を通り、南向きのリビングに案内された。午後2時過ぎの日射しが、家の中にあたたかく降り注いでいる。インタビューはリビング脇の和室で、設計・施工管理に関わった(株)高千穂の坂本さんにも参加してもらい、行われた。

まず、環境共生住宅的な取組みを始めた、きっかけを教えてください。

日比野:私がこういう家づくりを始めたそもそものきっかけは、自分の家の屋根で太陽光発電をしたいと思ったからなんです。
  この家に住んで20年くらい経ったときに、建て替えを考えないといけないなと思い、「太陽光発電を取り込む家」の展示会を見に行きました。その時はまだピンとこなかったんですが、それから新聞でOMソーラー協会の太陽熱利用の広告を見たんです。おもしろそうだと思いましたね。もともと住んでいた家には太陽熱温水器を設置して、お湯を作ってお風呂などをまかなったことがあったものですから。せっかく日当たりがよいのだから、お湯も温めたい、床も暖めたい。それも家の中に取り込めればなと思いました。

自らの家に関するデーターは家が建て替れられる
以前から収集し続けていたという日比野さん


 日比野さんが新しい家づくりのイメージを漠然と抱いたのは、今から10年ほど前のこと。それらが実現に向かって進んで行く中で、(株)高千穂との出会いがあった。

 

理想の住まいづくりに力を貸してくれた、高千穂との出会い

坂本:
我が社とのつながりは、まず日比野さんが、OMソーラー協会に資料を請求されたことから始まったんだと思います。当時、横浜でOMソーラーを取り扱っているのが高千穂だけでしたから。その後、こちらから見学会の案内を送ったりしました。

日比野:
見学会の案内をもらって、中川にある展示会には、夏と冬の2回行きましたし、実際に建てた物件も何件か紹介していただきました。 そういった展示会では、OMソーラーはもちろん、太陽光発電、雨水利用など紹介していて、そこで日比野さんは太陽光発電以外のいろいろな取り組みを知ったんです。

坂本:
実際に住んでいる方の声を聞いてもらったり、質問してもらったりしました。

日比野さんは高千穂の見学会以外にも、いろんな住宅展示場を回られたんですよね。
それでも最終的に、自分の家づくりを高千穂にお願いした決め手とは、
いったいどんな点だったのでしょうか。


日比野:どうしてでしょうね。通勤ルートの一番近くに、高千穂のオフィスがあったのは確かですが。坂本さんがいたからですかね。
坂本:当時、私は住宅担当ではなくて、マーケティングを担当していました。ある日、日比野さんが、「本を譲って欲しい」と会社に来たんですね。勉強熱心な方だなという印象が残っています。その時に奥様が病に伏せっていると聞きました。元気になったら、今お住いの家を新しく建て替えたいということでした。

日比野:
家内が亡くなる前までに、建て替えの設計は8、9割は決まっていたんです。妻はダンスが好きだったものですから、ダンス用の部屋だとか、ステップの足を張れるような床が欲しいとか言っていました。ドラムもやっていたので、ドラムセットやピアノも置けるかなと。だから、最初の建て替え計画では、地下室を作る予定だったんです。
 でも、妻が亡くなってから、しばらく自分の身辺が忙しかったこともあって、建て替えの計画も半年ぐらい止めてもらって。再スタートにあたり、当初のプランを大分変えました。それからは早かったですね。
ご自身で取り付けた風車の前で。
(左)日比野さん(右)高千穂の坂本さん

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